Me, Myself and I

All what I want to do is to spend guite regular life

○○する人は△△である。

これは僕が死ぬほど嫌いな通説の一つである。(正確には通説という言葉は正しくないがほかに良い代替が見つからないため)

職場、通勤時の電車、居酒屋でもこの手のフレーズはいつもどこかしらを飛び交っており僕をウンザリさせる。上司が部下を叱るとき、老人たちが若者に助言を与えるとき、はたまた人より自分が優れていると思っている輩と一緒に飲んだ時、彼らは自分自身はまるで悟りを開いた賢人かのように、まるで他人とは一線を画すほどの鋭い洞察力を備えているかの如く、「だいたいお酌もろくにできない奴が仕事できるわけない」「ご飯を食べるのが遅いのは仕事ができない。」「机の上が散らかっている奴は仕事ができるわけがない」等と公言してはばからない。

しかし、これは全くの嘘八百である。そもそもこんな事を統計とってみたわけでもなければ、筋道が通った理屈があるわけでない。これはだいたいビジネス書で掲載されるどこかの偉い成功者のありがたいお言葉の受け売りか、自分自身のしょうもない経験から発見・着想した些末な事柄であり、取り上げる価値もない。

例えば上にあげたうち整理整頓について、ある人はこういう。

「仕事ができる人は皆机が整っている。それは実際に整理整頓する事で、頭の中も同時に整理され、必要な情報とそうでない不要な情報を取捨選択する事に繋がっているからだ。(略)」

もしこれが正しければ、会社は新入社員に真っ先に教えるべきなのは、名刺の渡し方でもなく電話の応対の仕方でもなく、整理整頓をたたき込むべきだ。

だが当然ながらそうでない。僕も人生で、幾度となくこの手のフレーズを耳にタコができるくらい言われ続けてきたが、毎回「そうなんですね、了解しました!」と従順なふりをして無視を決め込んできた。残念ながらそういった通説が無意味な事は全うに生活していたら普通に間違いだと気づくはずである。

上について言えば、大学時代の所属の研究室で、非常に優秀な東京大卒の教授陣は誰一人として机の上を整理整頓していなかった。常に文献、雑誌、印刷資料が山となって、時として積み上げられるして雪崩となっていた。(誰に断るつもりもないが僕は東大卒ではない!ただ研究室の教授が全員東大だっただけ)

これもある種の立派な高等教育だと僕は思う。こういったくだらない通説を信じる価値はないと学習できるのは社会に出てからじゃ遅すぎる。そんな真偽も判断できないと、水素水をありがたがったり、陰謀説を唱える集団に洗脳され身を置くことになってしまうかもしれないのだ、本当に恐ろしい。