Me, Myself and I

All what I want to do is to spend guite regular life

自分の弱さ

他人と比較して、僕は精神的に弱く劣等感が強い。そう自覚している。

精神的な弱さに関して、僕はちょっとした人間関係のすれ違い、環境の変化でも僕は疲れてしまう。例えば、相手がふと口にした些細な言葉をいつまでも自分の心に留めてしまい、肥大化するまで飼いならした揚句、悩み苦しんでしまう。そのため、知らない人ばかりの環境に放り出されると、逐一人の顔色が気になって、疲れ果ててしまう。

それに気持の切り替えもへたくそで、失敗や悩みをいつまでもずるずると引きずってしまう。今は仕事が上手くいっている。でもこれは、僕が3年も今の部署に身を置き、それなりに仕事をし、評価されてきたから自信がついて落ち着くようになっただけであると思う。自分の事務処理能力に関してはそれなりに自信があっても、それ以外の、特に自分のキャパの範疇を越えてしまう分野に身を置いた時、今のように自信を保っていられるのか非常に不安でたまらない。

僕は仕事を始めて、僕のような人間が仕事に追われて精神を疲弊した揚句休職したり、退職に追いやられた例を見ている。だから、僕は常に逃げるカードを常に懐に忍ばせて仕事をするようにしている。最優先事項はプロジェクトの順調な遂行ではなく、自分の精神状態である、それを念頭に置いて僕はいつも仕事に取り組む。

そして劣等感について。他人に対して劣等感が強い。人には得手不得手があるのは承知しているつもりだ。けれど、他人が何かしら自分より秀でた部分を見ると不安になってしまう自分がいる。

特に、社交性の面で顕著に感じている。

人見知りである自分は、誰とでも上手くコミュニケーションを出来る彼女やそのとりまく友人達といるとそれを感じてしまう。昔から人見知りがと強い事に加え、僕自身エンジニアという立場において、仕事を進めるにあたり日々コミュニケーション能力は鍛えられているが、いわば雑談力とか社交性とかそういう面は求められないため向上する事がない。周りも自分と似た大人しい人達で構成されているため、悪い意味で向上しようと言う意欲が湧かない。だから、最近になって、彼女を介して他分野の人間と付き合うと面喰らったり、会話に入るタイミングを逃してしまう事が往々にしてある。

そもそも僕は劣等感を払しょくするため、色んな事に取り組んだ。英語、プログラミング、それに専門分野において人並み以上できるという自負はある。それでも、そういった面は仕事面だとか特定の部分にける自信に繋がっても、それ以外の面において効果はない。ある劣等感をぬぐい去ったところで、また新たな劣等感が浮かび上がる。それはいたちごっこであって、このまま格闘し悩み続ける事が人生なのだろうかと思う。

自分は自分、人は人とはいうが、その線引きは予想以上に難しく、その答えを探して僕は常に悩み考えている。